茨城町住民の方に根ほり葉ほり聞いてみました!(第35回駒渡区)
茨城町住民の皆さんの所におじゃまして、お話をうかがい、区ごとの特徴をご紹介します。
「移住に興味がある方」「まさに今!移住思案中の方」「茨城町は知らないけれど、お時間の許される方」
ちょっと覗いてみてください。インタビューにご協力いただいた方に次の区の方をご紹介いただくリレー形式で89の区(行政区)を順にご紹介したいと思います。
第35回 駒渡区(こまわたり く)
◇茨城県東茨城郡茨城町駒渡◇ |
駒渡区の方にインタビューしました!
地内風景 | 区内主要地方道大洗友部線沿い | インタビュー風景 |
今回インタビューにご協力いただいたのは、中村敬冶さんです。
Q駒渡区に住んでどのくらいになりますか?また普段はどんな生活を送っていますか?🎤
学業の関係で東京、神栖、水戸と数年住んでいた事はありますが、生まれも育ちもここ駒渡です。通算すると60年位でしょうか。
父が教員だった影響を受けてか、私も長く教員生活をしていました。茨城町の小学校の校長を務めあげ、長い教員生活が一段落してからも、子供達に携わる事が生活の一部でした。様々な境遇、十人十色、数えきれない程たくさんの子供達と出会い、ふれあい。そして、その成長を側で感じる事ができた事は今でも感慨深いものがあります。
現在は区長業他、各組合団体等の会合、両親の介護に追われながらも、庭の手入れをしたり、季節の移り変わりを堪能しながらゆっくりと暮らしています。
Q駒渡区はどんな所ですか?住み良い点、不便を感じる点を教えてください。🎤
ここは町内の北西部に位置し、地区のほぼ中央を東西に走る主要道路(県道16号大洗友部線)側に住宅地が集り、地区の西部は工業団地と北関東自動車道茨城町西インターが隣接しています。区内東西に流れる涸沼川沿いには、水田や、転作の麦畑が広がり、時期になれば稲の深い緑色と麦の黄金色が一面の絨毯の様に広がり見事なものです。稲刈りが終わると、水田には、ここ近年白鳥が数十羽飛来し、(時には100羽位になるほど)朝から晩まで一日中のんびりと羽を休めている姿を見る事が出来ます。林にはウグイスやキジが、珍しいアオバツグも生息しています。
涸沼川沿いの農道や高台から遠く西側を望めば、筑波山や愛宕山の山並みが見られ、山林や竹林には、様々な植物が自生していて、四季折々の彩を楽しむ事ができます。
ほんと、「自然豊か」この一言に尽きますね。
不便な点はやっぱり、交通の便でしょうか。東京行きの高速バス停が茨城町西インターにありますが、一般道を走る路線バスがなく、交通の便については、課題となっています。病院や買い物は、奥谷、小鶴、桜の郷まで行かなくてはならず、どちらも4km程の距離があり、自家用車は必須になっています。町内をぐるぐる周っていて、気軽に利用できるコミュニティバスなど、あるといいですね。そのバスの中での会話もまた、楽しみになったりして。
Q住民の方が思うアピールポイントがあれば聞かせてください。🎤
地区西部の茨城中央工業団地調整池や、少年野球場になっているエリアは開発に伴う埋蔵文化財の発掘が、平成6年から7年にかけて実施されました。その結果、約5,500年前の縄文時代前期頃の住居跡や地点貝塚、そして、古墳時代前期から奈良・平安時代の集落跡が確認されました。地点貝塚から出土した赤貝やシジミの貝殻は、当時この地域まで※汽水(涸沼)が入っていたことを証明するものです。また、出土した土器や石器・石製品等の大量の遺物は、当時を知る貴重な資料となっており、この地区の古い歴史を物語っています。
※「汽水」(きすい)とは、海水と淡水の中間の塩分を持つ水のこと。
※「涸沼」(ひぬま)茨城町、鉾田市、大洗町の3市町の境にあり、周囲約23.9km、面積9.35km2、関東地方で唯一の汽水湖。現在はラムサール条約登録湿地となっている。
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《駒形神社》 社の創立は不明だが、 1679年(340年以上前) に改修の銘が残るという。 神体は高さ45cm程の 木造の白馬。 この白馬については伝説があり、 「茨城町のむかし話」 にも掲載されている。
神社裏からは埴輪が 出土したという話もある。
※茨城町史「地誌編」より一部抜粋 |
《熱田神社》 区内南西部にあり、 祭神は大物主命 (オオモノヌシノミコト) 国土開拓や稲作豊穣、 疫病除けの神とされる。 境内社で変わっているのは 大杉神社で、これは祠ではなく、 ご神木という事。 |
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《駒渡公民館》 昭和52年建築。 区内集会の 拠点となっている場所。 2017年に行われた 三世代交流会「納涼大会」では、 バーベキューやスイカ割り等が行われ、 親睦をふかめた。 また、現在は廃寺となっている 十一面観音堂。 昔は歯痛の時にお参りされたとか。 建物は地元の大工さんが 手を掛けながら、 今も大切に保たれている。 ひっそりと佇む様に 存在する当廃寺は 区民を見守っているかの様にも感じる。 |
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《南小割遺跡》 平成6年 茨城中央工業団地造成工事に伴う 埋蔵文化財の発掘調査事業が行われた。 平成7年度まで行われたこの調査では、 縄文時代前期と古墳時代前期から 平安時代にかけての集落跡の 存在が確認された。
※「茨城中央工業団地造成工事 地内埋蔵文化財調査報告書」より抜粋
上写真:現在の風景。調査の規模が伺える。 中写真:当時発掘された土器 下写真:調査前 広域上空からの現地。 (奥:涸沼 中央:涸沼川 手前左:南小割遺跡) |
Q土地柄自慢や恒例行事など、駒渡区独特な所はありますか?🎤
独特な事。まずは震災の時に被害が、ほとんど無かったっていうのは大きいと思います。
屋根の上に何ヵ月もビニールシートが被せてあり、道はガタガタ、屋根の瓦はあっちでも、こっちでも落ちている。塀は傾いて・・大なり小なりどこの家でも被害はあったもので。・・でも、この辺、駒渡辺りは、瓦一枚落ちている家はありませんでした。
道もこのまんま。ある意味すごい事だとおもいます。地盤が強いのかなぁ。
恒例行事は、環境整備が主体となった奉仕活動が多くなっています。堤防や農道の除草作業、神社や寺、公民館などの清掃作業を年数回に分けて実施しています。他には「親子三世代ふれあい事業」として、流しそうめんやゲーム大会、バーベキュー等を実施していましたが、コロナ禍の影響で、この3年程は休止の現状です。昨年度は町の防犯活動啓発事業の一つとして、「語り寸劇」を地区の公民館で講演していただきました。
昔は夏になると、神社の夏祭りにむけて、祇園太鼓を教わったり、地区の球技大会等。と賑やかな時代もあって。今は少子高齢化が進み、この地区でも課題となっています。色々な会合や行事等が随分簡素化されてしまい、姿を消し、寂しい限りです。
現在は、山がきれいで、静かで穏やかで・・そんなイメージの駒渡区です。
Q最後に・・移住検討中の方へメッセージをお願いします。🎤
移住を考えている子育て世代の方にメッセージを送らせていただくとすれば・・・
田舎では、自然の中で、のびのびと子育てする事が出来るでしょう。元気いっぱい遊ぶ子供達の笑顔は何物にも変えられません。
都会での子育ては、教育環境に恵まれていて、勉強や習い事に力を入れられるでしょう。子供の得意なことを見つけてあげるのには良い環境だと思います。でも、大切なのは、生活環境だけでは子供を育てることは出来ないという事。
やっぱり大切なのは、「どう育てるか」なのかもしれません。
我が子にどんな未来を見せてあげたいか。それがきっと「移住」を考えるきっかけの一つになっているのかもしれませんね。
もし、教え子達に「先生~移住先ってどんな所探したらいいの?」と聞かれたら・・・お金の事調べて!「老後の事を考えて、病院がある所にしな~っ」とシンプルに答えるかもしれないですね(笑)
中村敬冶さん、ご協力ありがとうございました。
次は 前谷区(まえやく) へお伺いします!
(取材日:令和5年5月30日)
★番外編★「茨城町に伝わるむかし話」
駒渡という地名は、その昔、両岸が一面※葦原だった時代、どこからともなく、白い神馬がこの地へ渡ってきたので、名付けられたと言われています。 余りにも美しく輝いていたので里人は神馬にちがいないと祀ったのが、駒形神社だそうです。(馬⇒駒) あるとき、御神体の白馬の像を盗み出そうとした者があったが、不思議なことに、どうしても動かすことができず、とうとう諦めて帰ってしまいました。 御神体の白馬の片足が折れているのは、この時折られたからだと言われています。 駒渡では、駒形神社の御神体が白馬だということから、白いものを汚す事を避け、白い馬はもちろんのこと、白いニワトリや白いウサギなど、白い動物は、いっさい村に入れなかったということです。昔々のお話でした。 ※葦原(あしはら)とは=ヨシの生い茂る原。ヨシ(葦の別名)とはイネ科の多年草。根茎は地中をはい、沼や川の岸に大群落をつくる。高さは2~3メートルになる。 ちなみに、植物アシの別名ヨシは「悪 (あ) し」に通じるのを忌んで、「善 (よ) し」にちなんで呼んだもの。 (デジタル大辞泉より引用) |
小松崎治氏編「茨城町のむかし話」より
※取材に際し、マスクを外しての撮影をお願いしておりますが、新型コロナウィルス感染対策を十分に講じた上で、取材に臨んでおります。