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茨城町住民の方に根ほり葉ほり聞いてみました!(第24回海老沢区)

nehorihahori

  茨城町住民の皆さんの所におじゃまして、お話をうかがい、区ごとの特徴をご紹介します。
  「移住に興味がある方」「まさに今!移住思案中の方」「茨城町は知らないけれど、お時間の許される方」
  ちょっと覗いてみてください。インタビューにご協力いただいた方に次の区の方をご紹介いただくリレー形式で89の区(行政区)を順にご紹介したいと思います。

第24回  海老沢区(えびさわ く)

海老沢3

海老沢区概要
海老沢地図

◇茨城県東茨城郡
                        茨城町海老沢◇
お勧めスポット:
       素鵞神社境内からの眺め
世帯数:174世帯
人口401人(男206人  女195人)   
(令和2年8月末住民基本台帳調べ)

 

上記写真:
茨城県道115号子生茨城線沿より

海老沢区の方にインタビューしました!

インタビュー写真集
海老沢看板前 海老沢1 海老沢2
茨城県道50号水戸神栖線 沿 区内風景 インタビュー風景

  今回インタビューにご協力いただいたのは、勝山高さんです。

Q海老沢区に住んでどのくらいになりますか?また普段はどんな生活を送っていますか?

  51年になります。都会でサラリーマンをしていたのですが、その頃から、農業への興味や憧れがあり、茨城県にいた知人の紹介で妻と縁があり、専業農家の養子になりました。
ただ、その農業も、自分の身につくまでには大変な道のりがありました。
  サラリーマンだった私にとって、ゼロからの農作業でしたので・・覚える事も、体力的にも。
  精一杯やっても天候に左右される事もありますから、なかなか勉強が絶えなかったです。でも、作物は「世話をしたら、した分応えてくれる」そんな仕事である農業はとても魅力的でした。
  農業については、休養中ですので、現在は小学校5年生と、2年生の孫を、毎日門口まで送り迎えするのが日課です。ただ、孫をおくりだした後は、庭の手入れをしたり、山の手入れをしたり、休耕地の草刈りをしたりと、土と触れ合う日々に変わりはなく、それなりに忙しい毎日をおくっています。

Q海老沢区の住み良い点、不便を感じる点を教えてください。

  養子に来たすぐの頃は、都会育ちというのもあって、しきたりや、習慣に慣れるまで、正直骨を折りました(苦労も、あじわいました)。ただ、この辺の人は優しい人が多く、随分助けられました。近所の人が優しく教えてくれた事、手伝ってくれた事は今も忘れられないです。昔から海老沢は優しい人が多いと思います。共同体意識が強く、助け合いの精神なんでしょう。
  住宅環境は、隣近所までの位置が丁度よい距離と感じます。
  ただ、2007年に茨城町網掛 -海老沢までのバイパス(約2.6km、2車線)が開通され、よくなった点もありますが、昔からある道路の方は、道が狭い分、ちょっと危ないと思う時が多いですね。

Q住民の方が思う区のアピールポイントがあれば聞かせてください。海老沢区独特な所はありますか?

  昔ここは宿場町で、”茨城町”になる前は、沼前村(ぬまさきむら)といいました。
  その中心がここ海老沢でした。現在は栄えていた面影は少ないが、程よく連なる民家や昔から商売を営んでいる家なども集まっているので、その名残なんだと思います。
  また、茨城が生んだ経済人の巨星ともいわれる川崎八右衛門が生まれた地として、顕彰碑があったり、海老沢の高台には、古代人の生活の形跡が至る所でみつける事が出来ます。
  行事事では、祇園祭りでしょうか。海老沢区には”かぐら保存会”と言って、ひょっとこ踊りを保存・伝承する会が今も活動しています。夏の風物詩ですね。

海老沢区独特な所

海老沢15 海老沢6

《左:素鵞神社》
《右:海老沢
       ふるさとコミュニティセンター》

昔から、お祭りや区の
集会などで拠点となっている場所。
特に、神社境内からの眺めはよく
茨城県道115号子生茨城線沿が
一望できる。
(トップページ画像参照)
 

海老沢5 ebisawa7

《 海士部(あまべ)神社》

鹿島神社と尊称されていたが、
江戸時代藩主徳川光圀公
により海士部神社と改名
したそう。
鳥居からのびた300m程ある
長い参道は、
おもわず深呼吸をしたくなる様な場所。

海老沢14
海老沢13 海老沢12

《川崎翁招魂碑》
(かわさき おうしょうこんひ)

日本の財閥の一つと謳われた
川崎財閥創始者の
川崎八右衛門の経歴が刻まれ、
その業績を称えられ建てられた顕彰碑。
天保5年(1834年)鹿島郡海老沢村
(現在の茨城町海老沢)に生まれる。
銀行業が軌道にのると、
「今まで、色々な事業に取り組んで、
たくさんの財産をつくることができた。
これからは、その財産を
自分の生まれ育った茨城の
発展のために使おう」と
現在のJR水戸線にあたる
鉄道を敷設した
水戸鐡道(現東日本旅客鉄道)や
炭鉱事業などに資金を提供。
海老沢区にも、
昭和6年に海士部神社に対し、
川崎家から多額の寄付があり、
最新型の消防ポンプや、
手の込んだ御神輿などの
寄贈もあったそう。
明治40年(1907年)73歳で
生涯を閉じるまで、
日本の資本主義の発展を支えた
実業家の一人だった。

Q土地柄自慢やエピソードなどがあれば聞かせてください。

  海老沢区は自然環境、歴史など涸沼の恵みを受けている所だと思います。
  この辺りは、関東ローム層といわれる火山灰土、その下に厚い粘土層、小石が少ないから耕地にはもってこいの土。それは農業をするには、とても有利な事で、また、平坦で寒暖も穏やかな環境なので、栽培可能な品種も多く、恵まれた土地だと思います。肥沃な土が自慢です!
  畑仕事をしていると、めじろ、うぐいす、キジなどの声が聞こえたり、周りには種類豊富な植物があり、そういう環境で仕事が出来る贅沢さもまた素晴らしいと思います。

Q最後に・・移住検討中の方へメッセージをお願いします。

  社会情勢の変化から、近年、空き家の発生や、休耕地が目立つ様になりました。こんなに平らで肥沃な農地を放っておくのは本当にもったいない事です。農業を始めてみようと云う人には絶好の機会でしょう。

  自由を享受し、農業を志す君。
  作物は、貴方の努力に必ず応えて育ちます。
  海老沢の大地が待っています!

海老沢8

 勝山高さん、ご協力ありがとうございました。
次は新興区(しんこう く ) へお伺いします!
(取材日令和2年9月30日)


掲載日 令和2年11月19日 更新日 令和3年10月18日
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