茨城町住民の方に根ほり葉ほり聞いてみました!(第24回海老沢区)
茨城町住民の皆さんの所におじゃまして、お話をうかがい、区ごとの特徴をご紹介します。
「移住に興味がある方」「まさに今!移住思案中の方」「茨城町は知らないけれど、お時間の許される方」
ちょっと覗いてみてください。インタビューにご協力いただいた方に次の区の方をご紹介いただくリレー形式で89の区(行政区)を順にご紹介したいと思います。
第24回 海老沢区(えびさわ く)
◇茨城県東茨城郡
上記写真: |
海老沢区の方にインタビューしました!
茨城県道50号水戸神栖線 沿 | 区内風景 | インタビュー風景 |
今回インタビューにご協力いただいたのは、勝山高さんです。
Q海老沢区に住んでどのくらいになりますか?また普段はどんな生活を送っていますか?
51年になります。都会でサラリーマンをしていたのですが、その頃から、農業への興味や憧れがあり、茨城県にいた知人の紹介で妻と縁があり、専業農家の養子になりました。
ただ、その農業も、自分の身につくまでには大変な道のりがありました。
サラリーマンだった私にとって、ゼロからの農作業でしたので・・覚える事も、体力的にも。
精一杯やっても天候に左右される事もありますから、なかなか勉強が絶えなかったです。でも、作物は「世話をしたら、した分応えてくれる」そんな仕事である農業はとても魅力的でした。
農業については、休養中ですので、現在は小学校5年生と、2年生の孫を、毎日門口まで送り迎えするのが日課です。ただ、孫をおくりだした後は、庭の手入れをしたり、山の手入れをしたり、休耕地の草刈りをしたりと、土と触れ合う日々に変わりはなく、それなりに忙しい毎日をおくっています。
Q海老沢区の住み良い点、不便を感じる点を教えてください。
養子に来たすぐの頃は、都会育ちというのもあって、しきたりや、習慣に慣れるまで、正直骨を折りました(苦労も、あじわいました)。ただ、この辺の人は優しい人が多く、随分助けられました。近所の人が優しく教えてくれた事、手伝ってくれた事は今も忘れられないです。昔から海老沢は優しい人が多いと思います。共同体意識が強く、助け合いの精神なんでしょう。
住宅環境は、隣近所までの位置が丁度よい距離と感じます。
ただ、2007年に茨城町網掛 -海老沢までのバイパス(約2.6km、2車線)が開通され、よくなった点もありますが、昔からある道路の方は、道が狭い分、ちょっと危ないと思う時が多いですね。
Q住民の方が思う区のアピールポイントがあれば聞かせてください。海老沢区独特な所はありますか?
昔ここは宿場町で、”茨城町”になる前は、沼前村(ぬまさきむら)といいました。
その中心がここ海老沢でした。現在は栄えていた面影は少ないが、程よく連なる民家や昔から商売を営んでいる家なども集まっているので、その名残なんだと思います。
また、茨城が生んだ経済人の巨星ともいわれる川崎八右衛門が生まれた地として、顕彰碑があったり、海老沢の高台には、古代人の生活の形跡が至る所でみつける事が出来ます。
行事事では、祇園祭りでしょうか。海老沢区には”かぐら保存会”と言って、ひょっとこ踊りを保存・伝承する会が今も活動しています。夏の風物詩ですね。
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《左:素鵞神社》 |
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《 海士部(あまべ)神社》 |
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《川崎翁招魂碑》 日本の財閥の一つと謳われた |
Q土地柄自慢やエピソードなどがあれば聞かせてください。
海老沢区は自然環境、歴史など涸沼の恵みを受けている所だと思います。
この辺りは、関東ローム層といわれる火山灰土、その下に厚い粘土層、小石が少ないから耕地にはもってこいの土。それは農業をするには、とても有利な事で、また、平坦で寒暖も穏やかな環境なので、栽培可能な品種も多く、恵まれた土地だと思います。肥沃な土が自慢です!
畑仕事をしていると、めじろ、うぐいす、キジなどの声が聞こえたり、周りには種類豊富な植物があり、そういう環境で仕事が出来る贅沢さもまた素晴らしいと思います。
Q最後に・・移住検討中の方へメッセージをお願いします。
社会情勢の変化から、近年、空き家の発生や、休耕地が目立つ様になりました。こんなに平らで肥沃な農地を放っておくのは本当にもったいない事です。農業を始めてみようと云う人には絶好の機会でしょう。
自由を享受し、農業を志す君。
作物は、貴方の努力に必ず応えて育ちます。
海老沢の大地が待っています!
勝山高さん、ご協力ありがとうございました。
次は新興区(しんこう く ) へお伺いします!
(取材日令和2年9月30日)