_PG_5598 【Webコンテンツ】更科公護氏の著書紹介!

【Webコンテンツ】更科公護氏の著書紹介! 20.1.6

 Sun9号で特集した茨城町を中心に県内外で活躍した民俗研究家 更科公護(さらしな きみもり)氏。更科氏は町内に残る様々な風習を研究し著書などにまとめ、形に残しました。今回はそんな更科氏が残した記録を、少しではありますが紹介したいと思います。


『旧川根村における狐火の研究』 茨城県立図書館蔵

 更科氏の拠点があった旧川根村にて、近隣の人たちから聞いた“狐火”のうわさを、入念な聞き込みと様々な視点から検証した記録集。聞き取りした内容から伝わる当時の人々の暮らしの様子や、科学的見地や気象条件からの検証など、徹底的なフィールドワークの様子がうかがえます。


本写真

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『茨城こども歳時記』 筑波書林 茨城県立図書館・茨城町立図書館蔵

 茨城町下土師地区の子どもたちから聞き取りをした、四季を通じた子ども遊びの記録。都会の子どもたちと違い、玩具や読み物が乏しい農村部の子どもたちが、野山を駆けまわったり、昆虫や魚などを遊び相手にしたりと、自然に溶け込み、遊びをしていた様子がうかがえます。また、正月、節分、十五夜など、地域の年中行事に応じた遊びが強く影響していることが記録されています。子どものころにやっていた遊びも載っているかもしれませんね。


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『茨城町と私の郷土研究 更科公護氏の業績』 茨城町教育委員会、町の歴史を語る会、茨城町郷土史研究会 茨城県立図書館蔵

 この本では更科氏が調査を行った様々な内容がまとめられています。その1つに、茨城町や県内各地に伝わる“盆綱”に関するものがあります。更科氏によると、以前から取り組んでいた民俗学に関する研究を進める中で偶然盆綱の存在を知り、その実態を解明しようとした記録が本の中に“盆綱引きの意義”としてまとめられています。

 盆綱引きは入盆の13日に地域の子どもたちが集まって竜蛇になぞらえた太い縄を作り、その晩に墓地から祖先の霊を迎えて家々に送り届けるものとあり、町内外における盆綱を数例紹介しています。

 町のオフィシャルビデオでも紹介している茨城町小堤地区の盆綱は

12日に子供たちが藁や縄を集めて共同墓地の地蔵様の前に集まり、盆綱をつくる。盆綱は3本より、ウロコのように藁じりを出し、長さは現在3mくらいだが、昔は7m以上もあった。できあがったらその日はお地蔵様に巻いておく。13日の夕方まだ明るいうちから子供たちは墓地へ行き、盆綱を巻いたお地蔵さんにおじぎをしてから、「ナーマイダンボ、ジイノレバアノレ」と唱えて盆綱を抱え、こんどは「ナーマイダンボ、ホートケサーマ来たよ」と唱えながら部落中をまわって歩く。家々では門に迎え火をたき、縁先には足を洗う水をくんでおく。子供たちは抱えてきた盆綱を出しておいた金だらいの水につけ、仏様を座敷に上げて心づけをもらう。全戸まわったあとは真暗になり、最後は山の鳴神さまに納める。
と書かれています。


盆綱の様子

盆綱の様子

 茨城町外の例を挙げると、行方郡玉造町高須では“大蛇入れ”と呼ばれ

7月の朔日から子供たちが各家々をまわって藁と縄をもらい集め、念仏寮で大蛇をつくる。藁を芯にして長さ7.5m以上、胴の最も太いところは径45cmもあり、これに縄を隙間なくぐるぐる巻き、口はサン俵を二枚開いたようにつけ、目はなす、耳にはとうがらしをつけて13日までにつくりあげる。そして13日は部落全戸が墓参りを終えるのを待って墓地に行き、墓の土を少しづつのせ、それから担ぎ出して家々をまわり、「ヨンサノボンサ、ヨンサノボンサ」と庭に引き入れ、盆棚が設けられている座敷端に大蛇の首をのせ、金銭をもらって歩く。
とあります。


 また、更科氏は盆綱の意義を全国各地に見られる綱の引きまわし行事と比較することで、その意義を解明しようともしました。長崎県壱岐郡芦辺町八幡浦の“カズラ引き”と呼ばれる行事では

旧盆の13、14、15日の晩、前もって集めておいた海浜植物のハマゴウで作った幅1.5m、高さ60~70cm、長さ10mくらい、綱というより植物の山といった感じの綱をつくり、中に棍棒をとおして、これを青年20人くらいが抱えるようにして漁師町の中を引き歩く。最初の晩は西から東へ、そして最後の晩は東から西へ引くが、重いので十数メートルも引っぱっては休み休みして200mの漁師町を二時間もかけて引く。15日の晩は各家々ではお盆に用いたシバ(仏前に供える供物をのせる木の葉の容器)や花箸、そのほか供えた燃えるものを道路に出して焼くことになっているが、カズラ引きの綱はその焼いたあとを声を掛けて勢いよく引いて行く。この時の家々からは女子供たちがくんでおいたバケツの水をカズラや青年たちにひっかける。疫病をはらうものと言われている。
とあります。 そのほかにも秋田、栃木、千葉、鹿児島、熊本などの綱の引きまわし行事が掲載されていて、そこから更科氏が盆綱の意義を検証していきます。どのような結論に至ったかは『茨城町と私の郷土研究 更科公護氏の業績』をご覧いただければと思います。


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 今回紹介した本は、いずれも茨城県立図書館などに所蔵されています。半世紀前に活躍した民俗研究家の足跡に、実際に触れてみてください。



盆綱のことを紹介した茨城町オフィシャルビデオはこちらから!


更科公護 1956 『旧川根村における狐火の研究』 更科公護
茨城郷土史研究会 編 1980 『茨城町と私の郷土研究 更科公護氏の業績』 茨城町教育委員会、町の歴史を語る会、茨城町郷土史研究会
更科公護 1981 『茨城こども歳時記 春夏編』 筑波書林
更科公護 1982 『茨城こども歳時記 秋冬編』 筑波書林

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