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見どころスポット

    史跡・名所

    小幡城跡(町指定史跡)

    (写真)小幡城跡

      応永24年(1417年)頃に大掾詮幹の三男義幹が築城し、以来、義幹の子孫は小幡氏を名乗ってこの城主となったという伝承がありますが、大掾氏の当主に詮幹と言う名の者はおらず、その三男とされる義幹の存在も証明できないため、築城者や築城年は不明です。しかし、平成17年から18年にかけての発掘調査では15世紀代に遡る遺構・遺物が認められることから、そのころに築城されたと推測されています。

      小幡城は寛政川に面した比高20mほどの台地の東側に築かれています。現在西側には東関東自動車道が通っていて、こちら側に大手門がありました。城内は深い幅広の空堀を当時のままの状態で迷路のように巡らせていて、複雑に入りくんだ郭や変形武者走り、櫓跡、折などさまざまな工夫がみられます。

      また、本丸に残る井戸には、落城のときに金の鳥を抱いたお姫さまが身を投げたという、悲しい伝説が残っています。昭和45年町指定史跡になりました。

    小幡北山埴輪製作遺跡(国指定史跡)

    (写真)小幡北山埴輪製作遺跡

      6世紀中頃から7世紀前半の遺跡と考えられています。古くから良質の粘土の採れる土地として知られ、材料の粘土を掘った跡、埴輪の形を作ったり、保管していた建物の跡、埴輪を焼いた窯の跡が見つかっています。なかでも、窯の数は59基と全国で1番多く、平成4年国指定史跡になりました。



     

    木村家住宅(県指定建造物)

    (写真)木村家住宅

      木村家住宅は、江戸時代長岡宿の脇本陣で、問屋(人や荷輸送)や庄屋を勤めていました。脇本陣は、大小名などが休泊した本陣の予備にあたる宿舎です。当家は、安政4年(1857年)の長岡の大火により消失、現在の建物はその後建築されたもので、鉋による仕上げ、萱葺きの屋根になっています。こうした脇本陣は県内の宿場建築でも現存しているものが少なく希少価値があります。平成26年県指定建造物になりました。



     

    国指定彫刻「木造阿弥陀如来坐像」

    (写真)木造阿弥陀如来坐像

      平安時代末から鎌倉時代はじめに制作された寄木造りの阿弥陀如来坐像です。現在は、円福寺で保管されています。大正4年国指定彫刻になりました。










     

    水戸浪士の毛塚(町指定史跡)

    (写真)水戸浪士の毛塚

      徳川幕府の大老「井伊直弼」の動きに反対した多数の水戸藩士は襲撃を企て、長岡の地に屯集しました。そのうち、高橋多一郎ら17人が浪士となり大老襲撃の武芸に励みました。そして江戸へ向かうとき、髪の毛を断ち切り、決意の証として屯集地付近に埋め成功を祈ったのです。安政7年(1860年)、水戸浪士等は井伊大老を桜田門外において狙い討ちしました。後に長岡の住民は髪の毛を字・天徳寺に移して、塚と社を建て楠公社と呼ぶようになりました。大正5年には、長岡青年会の発起により「桜田烈士記念碑」が建てられました。昭和49年町指定史跡になりました。


     

    宝塚古墳(町指定史跡)

    (写真)宝塚古墳

      宝塚古墳は、県内に十数例しか発見されていない前方後方墳で、全身39.3m、周囲には5~7mの溝が巡っていることが確認されました。昭和60年の発掘調査でみつかった土器の破片などから、この古墳が作られた年代は、今から約1,600年前の5世紀はじめと言われています。昭和51年町指定史跡になりました。




     

    大戸のサクラ(天然記念物)

    (写真)大戸の桜

      水戸黄門で知られる徳川光圀公も、観賞したと伝えられる大戸のサクラ。樹齢約500年のシロヤマザクラの巨木で、大正時代のはじめ頃には枝が大きくはり出し、その広さは300坪(1,000平方メートル)もあったといわれています。昭和7年国の天然記念物に指定されました。





     

    勘十郎堀跡(町指定史跡)

    (写真)勘十郎跡

      運河の名として残る松波勘十郎は、藩政改革の請負人として水戸藩に呼び寄せられ、宝永の改革を一任された男です。その中心が、「紅葉運河」と「大貫運河」の2本の工事でした。紅葉運河は、涸沼西岸の海老沢から北浦にそそぐ巴川地域の紅葉(鉾田市)に至る約10キロメートル。大貫運河は大貫(大洗町)から涸沼川までの約1キロメートルです。大地を人力で掘り下げる紅葉運河の大工事は農民たちを苦しめ、やがて一揆に発展し、改革は宝永6年(1709年)に中止となりました。昭和45年町指定史跡になりました。




     

    公園

    涸沼自然公園

    (写真)涸沼自然公園

      34.5haの広大な敷地を持つ涸沼自然公園。自然の地形をそのままに生かしたユニークな広場が5つあり、季節ごとの花も楽しめて家族連れで楽しむのには最適。特に高台にある「太陽の広場」からは、涸沼が一望でき見晴らしも最高です。また園内には環境の整った250張設営可能なテントサイトや、56区画のオートキャンプサイトがあり、アウトドアライフも満喫できます。





     

      【キャンプの予約】
      涸沼自然公園管理事務所 電話 029-293-7441 受付時間:8:30~17:00

      平成30年5月1日より売店「いととんぼ」がオープンしました!
      【売店営業時間】10:00~16:00まで
      4月~12月・・月曜定休     1月~  3月・・土、日曜のみ営業

    いととんぼいととんぼ

    名勝広浦(水戸八景)広浦公園

    (写真)広浦公園

      涸沼の湖面に映る中秋の名月は「広浦の秋月」として、水戸藩第9代藩主徳川斉昭公が水戸八景の一つに選びました。広浦からの涸沼の眺めは素晴らしく、晴れた日には鳥居の向こうに筑波山を望むことができます。キャンプをしながらサイクリングや水遊びなども楽しめます。

      【キャンプの予約】

      涸沼自然公園管理事務所

      電話 029-293-7441

      受付時間:9:00~17:00

     

    網掛公園

    (写真)網掛公園

      「親沢の鼻」の対岸にある「弁天の鼻」につくられた公園。涸沼の見晴らしがよく、のんびりと日向ぼっこやピクニックにおすすめの公園。湖岸では釣りも楽しめます。また、ひぬま野鳥観察台が設置されており、野鳥観察や撮影にも人気のスポットです。




     

    名勝親沢・親沢公園

    (写真)親沢キャンプ場

      松が生い茂る涸沼の景勝地。湖畔に突き出ている「親沢の鼻」と呼ばれる一帯は、県指定の名勝地です。「親沢の一つ松」を詠んだ徳川光圀公の句碑が残されています。また、園内にはテントが持ち込めるので、バーベキューをしながら湖畔でキャンプも楽しめます。

      【キャンプの予約】

      涸沼自然公園管理事務所

      電話 029-293-7441

      受付時間:8:30~17:00

     

    イベント

    あじさいまつり

    (写真)あじさい

      毎年6月下旬から7月中旬にかけて涸沼自然公園で開催されます。「あじさいの谷」をメインに1万株の花が咲きほこり、広大な自然公園ならではの沢山のあじさいの花が楽しめます。イベント日には、ステージ発表や多くの飲食店の出店など、多彩な催しが行われます。

      涸沼自然公園

      茨城町中石崎2263

      【電話】029-293-7441

      【開園時間】午前9時~午後5時

      【休園日】11月~3月のみ月曜(祝休日の場合は翌日)、12月28日~1月4日
     

    いばらきまつり

    いばらきまつりの写真

      毎年11月上旬に開催される町のビックイベント。町民自らが参加する交流の場として、やすらぎと親睦を深めるために開催します。イベント内容も充実しており、特に「模擬上棟式(まきもち)」は、来場者からの大きな歓声に包まれ迫力満点です。フィナーレには、この季節にはめずらしい花火の打ち上げが行われます。




     

    あんばまつり

    あんばまつりの写真

      湖上で祈る、五穀豊穣・無病息災

      数隻の船をつなぎ合わせて山車に見立てて涸沼に浮かべ、太鼓や笛のおはやしで踊る全国でも珍しいお祭り。毎年7月末に開催され、多くの人で賑わいます。(茨城町指定無形民俗文化財「広浦あんばさま」)


    掲載日 令和2年12月11日 更新日 令和5年5月9日
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