#08 地域おこし協力隊の経験を活かして
2017年に「茨城町地域おこし協力隊」に就任し、3年間の任期が完了した現在も茨城町に居住し、地域で活躍する川島裕樹さんにお話しを伺ってきました!
(令和2年8月7日現在)
茨城町の地域おこし協力隊になったきっかけは何ですか。
大学時代から、アウトドアや旅が好きになり、長期休みを利用して国内外でバックパッカーや自転車旅をする中で、日本がたくさんの土地を余らせている事や、農林漁業の後継者問題が深刻になっている事を知り、衝撃をうけました。
人生の大半を占める「仕事」を決めるこの時期にうけた衝撃が、離農が増え人口が減少していく地方と、人口の集中する都心との懸け橋になれるような暮らしや、仕事がしたいと思うようになったきっかけでした。
ちょうどその頃に、「地域おこし協力隊」という制度があることも知り、興味をもちはじめ、調べていく中で、「地域おこし協力隊」といっても、活動のスタイルは市区町村によって様々で、「農業に携わりたい」思いが強かった自分には、比較的自分のプランで活動できる体制や、平坦で色々な作物が作りやすい茨城町の環境は理想的でした。
茨城町を選んだ「決め手」はなんでしたか?
説明会に参加の際、町民の方のお宅に泊まらせて頂く機会があったのですが、気さくな町の人との「ざっくばらん」なふれあいや、滞在中に起きた楽しいハプニング、皆で笑いあった瞬間の心地よさ。
そこに「自分の居場所」みたいなものを感じた事が最大の理由です。
協力隊に正式に任命される前に、来る気満々になっていた自分を覚えています(笑)
就任中に経験した思い出に残る活動BEST3を聞かせてください
まずは、自分で育てた小麦の収穫!
6月に着任したての自分が目を奪われたのが、茨城町役場から見下ろした一面金色の小麦畑でした。その景色に、「よし!小麦を茨城町の名産にしよう!」この景色がいつまでも町に根付き、活性化につながれば・・・と言う思いから、「茨城町産小麦のPR」が一つの軸に決まりました。
収穫時期を迎えた川島さんの小麦畑 |
収穫風景 |
収穫した小麦を使った自家製ピザ |
次に、「HAERUマーケット」!
廃校を利用した農家主催のマーケットで、茨城町の若手農家さんと一緒に、廃校になってしまった小学校にもう一度人が集まる機会を作りたい、という思いから立ち上がった企画でした。第1回開催の時は、17店舗が参加で、広い校庭にチラホラとある店舗。閑散としている中、天気が雨・・・けっして成功とは言えないスタートでしたが、おかげ様で直近の第7回目では、参加数30店舗まで増え、1回の開催での延べ人数も1,000人を超えるなど、多くの方が足を運んでくれるマーケットになりました。皆さんに支えられ、ここまで成長できた事は感慨深いものもあり、感謝と感激の気持ちで、いっぱいです。
準備風景 |
川島さんも出店! |
素敵な笑顔です! |
最後は「オーガニックマルシェカフェひらく」の運営!
自分で収穫した小麦や、茨城町の農家さんが作った農作物などを使い、ピザをメインに、オーガニックの野菜を使った料理の提供をするカフェ。シェアキッチンの提供をしていただいたり、共通の思想を持つ方達の支えもあり、オープンしました。オープンしたての時期には、日々仕込んだ物が自分の食事に変わり・・不安や焦りを感じる、自分との闘いでしたが、色々な人に助けられ、PRの場所をもらい、だんだんとリピーターのお客様が増え、今やっと軌道にのってきたと思っています。周りの皆さんのサポート無しでは成し遂げられない事の連続だったので、今は、感謝の気持ちも活力になっています。
現在は納屋Caféひらく&Luminousと体制を変えて運営をしています。
メニューの一部 |
カフェ外観 |
店内ではオーガニック野菜の販売もしている |
任期満了を過ぎた今、「茨城町に住み続けていこう」と思った”想い”をきかせてください。
単刀直入に言ってみると、茨城町をもっと楽しみたいと思ったから!です。
さらに言えば、まだ、茨城町を周り切れていない、楽しみきれていないと感じたからでしょうか。
地域おこし協力隊就任中は、いつも頭の中には自分に出来る事は何か、どうしたら茨城町をもっとよくできるかという考えがあって、どこかあせりもあったように思います。就任中に結果を残したかったから。
3年前、生まれて初めて茨城町を訪れ、色々な人と出会い、人に恵まれ助けられ、町民になる為の、下地作りをしてきたようにも思えます。これからは、次世代の方達にも、自分のような生き方も選択肢の一つだと思ってもらえるよう、「川島がいるから、茨城町に行ってみよう!」と思ってもらえるよう、わくわくする拠点づくりができるよう、まずは、茨城町をもっと楽しみたいと思います。